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2006年9月30日 (土)

「夢」

060930_2229411_2  2006年8月21日、愛知県岡崎市立矢作南小学校において、キンちゃんが「夢」と言うタイトルの「本校の卒業生藤田さんのお話を聞く会」を行いました。この日は夏休み中の全校出校日。キンちゃんは母校で後輩の全校正800人以上いる前でのお話でした。その内容をご紹介します。

http://www.oklab.ed.jp/weblog/yaminami/2006/08/post_1.html

 皆さん、おはようございます。お元気ですか? もうすぐ夏休みが終わってしまいますが、宿題は終わりましたか? そしてもっと大事なこと、「素敵な思い出」は作れましたか?
 私は今年の夏、とても素敵な思い出を作ることができました。今日はその思い出話を皆さんに聞いてもらおうと、この矢作南小学校にやってきました。言い遅れましたが、今から約30年前、私もこの矢作南小学校に通っていた「藤田美幸」と言います。今でも川田で「饅頭屋」をやっています。私に会いたい人は買いに来て下さいね。
 さて、私の素敵な思い出は、ドーバー海峡を泳いじゃったことです。時間は13時間35分でした。そう、13時間35分もずぅ~っと泳ぎ続けていたのです。
 「ドーバー海峡」と言うのは「イギリス」と言う国と「フランス」と言う国の間にある海です。距離はだいたい34km。岡崎からですと、名古屋までくらいまでの距離になります。そのドーバー海峡を泳ごうとする人は、毎年世界中から泳ぎ自慢の人達が集まり、とてもにぎやかになります。
 ドーバーの素晴らしいことは、こう言った世界中の泳ぎ自慢の人達と仲良くお友達になれることです。でも残念ながら、全ての人達が泳ぎ渡れるわけではありません。途中、疲れたり、眠くなったりして止めてしまう人が後を絶ちません。そのくらい難しい場所なのですが、泳ぎ渡れた人は、「よくやった!」と、みんなから祝福されます。その「栄誉」をつかみたくて、毎年世界中から泳ぎ自慢の人達が集まるのです。
 ところで実は私も今回で5回目の挑戦です。始めの2回は17時間以上も泳ぎ続けたのに、渡ることは出来ませんでした。悔しくって、悲しくって泣きました。でも泣いたからといって泳ぎ渡れるわけではありません。その失敗を生かし、次につなげる「力」にしたのです。すると3回目からは泳ぎ渡ることができるようになりました。3回目、4回目、5回目と、3回続けて泳いで渡ることが出来ました。その努力がドーバー海峡を泳いで渡らせる団体に認められ、昨年は賞としてカップをいただきました。
 ドーバー海峡を泳いで渡った日本人は私が12番目ですが、今年もう一人現れましたから、今年で13名の日本人が泳いで渡れたわけです。たった13名です。その中で3回泳いだ日本人は私だけですが、それで満足しているわけではありません。日本人では初めての往復泳、つまり、行って帰ってくると言う、「2way」をやってみたいのです。1way、つまり片道だけでも日本人では13名しかいないのに、往復泳をすることの難しさは言葉では言い表せないほどです。でも、だからこそ「やりがい」があるのです。それは私の「夢」です。
 皆さんには「夢」がありますか? 夢を持つと毎日が楽しいですよ。忙しい仕事があるので、「毎日」とまではいきませんが、暇さえあれば泳いでいます。冬でも水着一枚で海に泳ぎに行くんですよ。寒いけど、冬の海も素晴らしいんです。春夏秋冬の海を泳げて私は幸せです。「夢」は心を豊かにさせ、人を幸せにします。
 皆さんもまだまだ夏休み。大きな夢に向かって歩いてみて下さい。あきらめないで歩いたら、必ず幸せになれますよ。
 それでは私の話はこれで終わらせていただきます。長いこと聞いていただき、ありがとうございました。

 この後、写真を見ながら解説し、そして子供たちからの長い質疑応答が続いた。

2006年9月27日 (水)

懇親会

060926_2236051_2 9月26日(火曜)、東京は千駄ヶ谷のレストランで今年津軽をリレーで挑戦したご婦人方と、我々キンちゃんと私の懇親会行った。

写真は暗くて見にくいが、バックには美しいご婦人が4名並んでいる。

海図を見せ合って航跡を調べたり、今年の津軽を思い出しての楽しい時間だった。

2006年9月24日 (日)

食事会

060923_1611251_2 9月23日(土:秋分の日)、江ノ島水族館の隣にあるイタリアンレストランで、ドーバー1wayソロの成功者、眞壁さんとその極親しい仲間と食事会を行いました。

報告書には記載されていない裏話や、その時、国内での眞壁さんの周囲がどうなっていたのかなど、「ヘー!」と言う話がてんこ盛りになり、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

眞壁さん、ありがとうございました!

2006年9月16日 (土)

神は微笑んでくれた

(2006年8月6日ドーバー海峡単独横断泳成功)
          眞壁 功

Details of the Channel Swimming (England to France)

Date: August 6th, 2006
Start: Shakespeare Cliff (07:46)
Finish: Between Sangatte and Blériot-Plage (23:36)
Record: 15 hours 50 minutes
061_3Swimmer: Isao Makabe
Date of birth: May 29th, 1944
Age: 62
Nationality: Japanese
Sex: Male
Membership card number: 2006/7104
Swim number: 2006/05S
Swim type: 1‐way solo
Period: The number 3 position on the 30th July to 7th August tide
P8070047s Pilot Boat: Seafarer
Pilot: Chris Osmond
Crew: Tony Mitchinson
Observer: Simon Mitchinson
Coach: Haruyuki Ishii
Weather: Clears and cloudy.
Wind: 1~2. Light air and light breeze (The Beaufort Wind Scale).
       The south and the south-southwest wind.
Temperature: 18~25℃
Water temperature: 18~19℃
Wave height: 0.5~1.5m
Tide: 02:52  2.1m   08:18  5.5m   15:25  2.0m   20:40  5.7m (Port of Dover)
The age of the moon: 12.3

時間 15時間50分

1.いきなりゴール

 暗闇の中、船を左に見ながら泳いでいた。左前方、はるか彼方に町の明かりが見えている。どこの町の明かりなのだろうか?しかし中々明かりには近づけなくて、もう何時間泳いでいるのだろう。
 突然、船から石井先生のフォーンが聞こえた。補給時間かな?と思いつつ泳ぎを止めて船を見る。
060806_160316 先生「これからゴムボートを下ろします。この先はゴムボートについて泳いで行って下さい」。
私「エエッ、陸が近いんですか?」
周囲を見渡すが暗くてよく判らない。
私「どうすればいいんですか?」
先生「ゴムボートが近づくまで待っていて下さい。」
 そして先生が何かを投げた。カプセルだった。泳ぐ前に先生に預けておいたカプセルを渡してくれたのだ。このカプセルをパンツの後ろにはさみ待機する。そしてボートの先導で再び泳ぎ出す。ボートに乗っているのはクルーのトニーだった。何やら胸の辺りからピカピカ光るものが見える。
 前方上空を見ると、半月より少し膨らんだ月がよく見える。しかし陸地は残念ながらよく判らない。先生から「月に向かって泳いで下さい。」との指示が飛ぶ。
 「月か、良い目標だ」ボートの横を月に向かって泳ぐ。月光が道標をつけていてくれる。すると平らだった海面が盛り上がってきた。波のようだ岸は近い。ゴムボートも止まる。するとまた海面が盛り上がり前方で波が砕けた。暗闇で目が慣れないためか周囲が良く見えない。砕ける波にもまれながら進んでいくうちに突然、海の中で手の指先が砂に触れた。
 「あぁ、砂だ」立ち上がると膝上くらいの深さだった。波をかき分け、かき分け、海から上がった。辺りは明かりひとつ無い真っ暗やみ。月に映し出された海岸は白っぽい砂だとわかる程度の明るさ。前方は防砂林か何かのようで木のシルエットが黒々と見えていた。
 「やったぁ~~~、やったぁ~~~、俺は泳ぎきったぞぉ~~~!」と大声で叫んだ。そして心の中で「やったぁ、やったぁ、やったぁ、祐子、泳ぎきったぞぉ~!」と何度も何度も繰り返し叫んだ。
 スイミングゴーグルのベルトに挟んでいたケミカルライトをはずし、沖で待機している船に向かって大きく手を振り合図を送った。
 船から「プウォ~~」というフォーンの音が聞こえた。判ってくれたのだ。
 パンツからカプセルを取り出し、少し奥に進んで乾いた砂をカプセル一杯に詰め込みトニーの待っているゴムボートのところまで泳ぎ出した。

2.なぜ、ドーバーなのか?

 2005年7月、仕事から戻り昼食を食べながらTVを見ていると、「徹子の部屋」にヨットで世界一周単独無帰港を成し遂げられた「斉藤 実さん」が出演されていて、厳しかった航海の話を生き生きと語られている姿に釘付けとなった。70歳を過ぎておられるのに、何と若々しいことか。つやつやとした肌に目が爛々と輝き、厳しい航海の話を楽しそうに話されている。
 目的を持ち、それを成し遂げるとこんなにも若々しく、輝き光るものなのかなあ~。その目的が困難であればあるほど、それを成し遂げた時の嬉しさは身体全体から滲み出てくるように思えた。自分も若くはない。何かも目標を持って生きていけたらこの先、楽しい人生を過ごせるかもしれない。私にはこれしかない「ドーバー海峡単独横断泳」。でも私にとってはとてつもなく暴挙。そしてあまりにも「無謀な夢」と言うものだった。
 一緒に見ていた家内にドーバーの話をすると、「やってみたら。無理かもしれないが、チャレンジする事はとっても良い事だと思うよ。たとえ半分でも泳げたら良いんじゃない。」と私の心を見透かすように言った。
 2002年8月、思いがけず「チーム・奥澤」のリレーメンバーとしてドーバー海峡横断泳に参加することが出来た。その時以来「これがドーバー海峡か、いつか単独での横断泳にチャレンジしてみたい」と、とてつもない「夢」を見ていた。
 「よぉ~し、やってみよう。夢を実現してみよう。たとえ半分、ハーフポイントまででも良いからドーバー海峡を一人で泳いでみよう」と心に誓った。そしてドーバー海峡を泳ぐためのご指導をお願いするのはこの方しかいないと思っていた、トラジオンスイミングクラブの石井 晴幸先生だ。060804_231240
 今回のドーバー行きで既に9回もドーバーへ行っており、ドーバーの海、ドーバー海峡を泳がせることに関して多分、日本で一番経験、知識が豊富なお方だと思っている。
 昨年の8月末、藤田 美幸さんの津軽海峡単独横断泳の帰りを待って、羽田空港に石井先生と藤田さんを迎えに行き、私のドーバー海峡単独横断泳のチャレンジについて、そしてそのご指導を石井先生にお願いしたい旨をお話した。しかし先生のお返事は「確約は出来ません」との事であった。でも来年の3月までは、時間の許す限りお手伝いはしましょうとの返事は頂いた。また「ドーバー海峡を泳ぐに当たってどの協会で泳ぎたいですか?」と妙な質問をされた。
 「2002年、リレーの時の協会はCSA(Channel Swimming Association)でしたが、最近新たにCS&PF(Channel Swimming & Piloting Federation)が出来、どちらでも良いですが、最近私はCS&PFです。藤田さんはCS&PFで泳いだ初の日本人です。」とのこと。ドーバー海峡を泳げれば私はどちらでも良いので「先生のやりやすい方でお願いします。」と即答した。早速、先生はCS&PFと連絡を取って下さり、「予約が取れました。」と9月上旬に連絡があった。
 予約内容は2006年7月30日から8月7日までの潮で、泳ぐ順番は3番目。伴走船は2002年の時のリレーと同じ「シー・ファーラー」。パイロットは「クリス・オズモンド氏」であること。更に先生と練習方法、その他について後日お会いして話し合った。
 「練習は出来るだけドーバースタイルで行い、実践的な練習をやっていきたい。そして最低でも10時間泳ぐらいは泳ぐこと。過去の単独泳成功者の記録から見ると完泳時間は10時間から20時間の間であり、16℃の水温で15時間前後は泳げるよう練習して下さい。」と指示された。海で私が一番長い時間泳いでいるのは2005年10月の奄美大島海峡横断泳で7時間前後だった。
 また一番の問題点である低水温対策としては、「出来るだけ体重を増やすこと。出来れば現在より10kgぐらいは増やした方が低水温には強くなる。」と言われた。これが私には結構大変で、燃費の悪い身体(基礎代謝が1,500~1,600kcal)、更にトレーニングを重ねると、食べても、食べてもカロリー消費が大きく太れない。
 そこで肥満防止対策の反対を行い、食べて、食べて、食べまくった。寝しなに食べ、間食をし、甘い物を食べ、とにかく寝ているか、泳いでいるか、食べているかの生活を送った。かなり胃腸、肝臓に負担を掛けたが、その効果が出て半年くらいで10kgの増量に成功。お陰でドーバーへ行く直前の人間ドックでは見事「メタボリック・シンドローム」と言うお墨付きを頂き、「再検査要す」の判定が下された。

3.練習は厳しく

 月1回、海での長時間泳練習を計画。それでも来年の本番までには11回しか練習が出来ない。練習計画は別紙「練習計画書」、及び「練習まとめ表」によるが、第1回目は私の永年の夢であった「片瀬江ノ島~茅ヶ崎沖の烏帽子岩往復泳」と決定。サポートは先生の他に我が友、石川 弘樹さん、鈴木 正子さんにお願いした。支援船は私の所有する「アスリート号」。
 ドーバースタイルの遠泳練習とは補給時間、補給物は人によって違うが、補給を受ける時も船につかまらず、しかも素早く飲む。出来れば10秒以内。ドーバー海峡は潮の流れが非常に速く(今回の私の横断泳では秒速1m以上の潮の流れがあった)、泳がず休んでいると、どんどん流されるので、出来るだけ止まっている時間は短くする。また、休んでしまうと泳ぎのリズムが狂い、元のリズムに戻るまでに時間が掛かる。排尿も泳ぎながら出来るように練習。排便につながる固形物は取らないようにした。
Maxim 補給物は先生お勧めのイギリス製「マキシム」。炭水化物主体のパウダー状のもので、それを果糖または蜂蜜で味付けし、「プラティパス」という水筒に1回分約300ccをお湯で溶かし、冷めないようホカロンを貼り付けて暖め、更に家内が作ってくれた特性の保温バック入れて加温した。温度は60℃近くまで上がり、飲むときは熱いくらいだが、海水に漬けると直ぐ冷める。
 長時間泳は仮に海水温が25℃以上と高くとも、36℃程度の体温より低いため泳いでいると身体は冷えてくる。やはり補給は温かい飲み物の方が“ホッ”とする。
 補給は40分毎に1回。真冬の練習では20分毎に1回。それでも身体はどんどん冷えて筋肉が動かなくなってくる。060401_0745493_2
 寒くなってきた11月以降はサポート船がアスリート号では厳しくなってきたので、江ノ島片瀬漁業協同組合に行き、組合長さんに直談判。「来年ドーバー海峡を泳ぐため江の島~逗子海岸を遠泳の練習場所にしているが、その際の支援船を探して頂けないか。」とお願いした。「但し、ドーバーへ行くためお金が掛かるので、船代はなるべく安くお願いします」と頼み込んだ。幸いなことに、組合長さんの所有する船が空いているとのこと。とんとん拍子に話が纏まって「湘南丸(5トン)」いう大きな船になった。
 新しく支援船を得て練習を始めたが片瀬西浜~逗子海岸2way(往復泳)で、いつも復路の途中、稲村ガ崎沖、若しくは七里ガ浜沖でギブアップ。時間にして6時間を超えた辺り。何度泳いでもその辺りに来るとギブアップしてしまう。
 やはり自分にはドーバーは無理なのか。でもハーフポイントぐらいまでは泳ぎたい。泳げなくなる原因は低水温による体力の消耗と背筋の疲労。それこそ「このまま海の底に沈んで行ってしまうのではないか。」という幻想にとらわれた。そして泳げなくなる一番の要因は、未だ気持ちが本当に「やるぞ、絶対に泳ぎきるぞ!」となっていなかったのかもしれない。「無理して体調を崩さないか。」、「故障をしないか。」、等々、余計な事まで心配していたように思う。
 それとスイミングゴーグルを長時間装着していると、ゴーグル内の目の周りのうっ血がひどく、目が塞がって見えなくなり、方向感覚、三半規管も狂って泳げなくなる。という大きな問題も発生した。色々とゴーグルを試して、最終的に落ち着いたのは「デカゴーグル」になった。耳鼻科の医師に聞いたところ、三半規管を冷やすと方向感覚が狂ってくるとのこと。石井先生もお勧めだったが、必ず耳栓をやるようにした。
 ただ私は呼吸が左側一方向だけなので、いくら耳栓をしていても右側頭部が冷やされて少しずつ方向感覚が狂ってくる。この冬は異常に寒く、例年12月でも江の島沖の海水温は18℃ぐらいであるのに、今年は16℃以下になっていた。特に1月から4月までは海水温が14℃以下で、組合所有の江の島沖の定置網に「魚が全然入らない。」と組合長さんがこぼしていた。魚も動けない低水温だから、あまり無理をしない方が良いのではないか、「体を壊してしまうよ。」と忠告も受けた。
 気持ちは焦るが、あまりの低水温で長時間泳の練習は無理なので休む事にした。しかし低水温に身体を慣れさせるため、一人で週1~2回、1時間程度の海練習は欠かさずにやっていた。更にプールでは八戸 博子さんのトレーニング、合宿等に参加し、多い時で1日に7000~8000mの泳ぎ込み、6時間泳なども消化していった。
060804_055730_2  4月に入り気温も日中は15℃を越すようになってきたので、今までの練習の遅れを挽回すべく、月2回の遠泳練習計画に変更した。先ずはドーバーを泳ぐための申請で必要な「16℃以下の水温で6時間以上泳いだ証明書」を作成するための練習を実施。
 いつもの片瀬西浜をスタート。逗子海岸を折り返し、再びスタート地点の片瀬西浜を目指す。水温13~15℃の中、かなり苦しいが「何とか6時間は泳ぎ通したい。」と願いつつ頑張って泳いでいたら、正子さんが「眞壁さぁ~ん、6時間経ちましたよ!」と声をかけてくれた。一杯一杯だった気持ちが急に萎えて、「ありがとう。もう上がる。」とまたもやギブアップ。でも何とか6時間は泳げた。なかなか予定のコースを完泳出来ず落ち込んでしまっていたが、それでも月2回の練習は予定通り実施した。
 4月下旬、組合長さんのところへ次回の船の予約に行ったと頃、船頭さんがとても心配していて「いつも同じ場所で止めてしまうが、万が一事故にでもなると困るなあ。」と言っていたそうである。石井先生に相談し、誓約書を作成。「自己責任で泳ぐものであり、組合及び船頭さんには一切迷惑をかけません。」との文言を入れて組合長さんに提出した。
 練習も佳境に入った5月からは夜間泳も視野に入れて計画を立てた。が、いつもの湘南丸の船頭さんは、「この船は夜間航行出来ないので他の船を当たってくれ。」と断られてしまった。再度組合長さんにお願いして別の船、「新将丸(4トン)」が引き継いでくれることになった。今までより若い船頭さんで、ドーバー海峡横断泳に少なからず興味をもっていてくれ、且つ、「そのような事に手助けが出来ると言うことは、自分としてもすごく嬉しい。」と言ってくれたのがとても心強かった。
 船が変わったせいでもないのだろうが、何度やってもギブアップしていたコースの2wayを、5月16日に泳ぎきってしまった。今までは何だったんだろう?と思いつつ、泳ぎきったことに気分を良くして3way、4wayと立て続けに成功した。特に7月4日の4wayは20時間と、自分でも信じられないくらいビックリの長時間を泳ぎきった。これでかなり自信がついた。しかも補給は液体のマキシムとグリコの「C.C.D」のみ。他に固形物は一切取らなかった。9リットル作った補給品は全て飲み尽くしてしまい、それでも泳ぐ前と後で体重は殆ど変わらなかったのにまたまたビックリした。
 4wayが泳ぎ終わったのは夜中の1時頃だったが、息子がゴール地点の片瀬西浜の海岸で待っていてくれた。息子は1時間も前から海岸に来て、江の島沖を明かりつけた船がゆっくり進んでくるのを見守っていてくれたらしい。そして毎度の事だが、家では家内がお風呂に直ぐに入れるように準備して待っていてくれた。家族全員で私のことを応援してくれて、本当に私は幸せ者だと思った。
 このとき感じたのは、気力=(何かをやり抜こうとする意思をささえる精神の働き)、精神力=(心の持ち方、強さ)の強さは肉体をもコントロールしてしまうという事。4way目に入り右肩、腕、手首と右手が痛くて、殆ど役にたたなくなっていた。ただ腕を回しているだけで「水をかく」という事が出来ていない。でも泳ぎのバランスがあるので、痛さに堪えて何とか泳ぎきった。しかし泳ぎ終わった途端、右腕は痛くて肩より上に上がらない。よくこんな状態でも泳ぎ続けることが出来たと、自分でも不思議だった。ただ水温が高かったから泳げたんだと考えていたが、「20時間泳げた」と言う自信は色々な面で好効果をもたらしていた。
 「ドーバー海峡の水温は低いので、誰にでも泳げるという海ではないぞ!」

4.いざ、ドーバーへ

 7月半ばに急遽、ドーバーへ行っている石井先生からメールが来て「藤田さんが3回目のドーバー単独泳に成功!」との朗報を受け取った。聞けば水温は16℃前後と、非常に厳しい環境の中での泳ぎだったとか。この水温では私では絶対無理だと思った。あと2週間あまりだが、私の泳ぐ時には少しでも水温が上がってくれることを願って止まない。
 イギリス行きの飛行機は7月28日(金)成田発10:50のブリティッシュ・エア・ウェイズ。旅立ちにあたり、家内は先方でお世話になる方へと、友人にお願いして手作りのカードを作ってくれていた。本当にありがたいと思っている。石井先生は7月26日に藤田さんと帰国。28日には私と再びドーバーへ行くという超過密スケジュール。そしていざ、ドーバーへと旅立った。060809_172054
 7月28日の午後、ヒースロー空港に到着。日本を発ったのは午前11時頃、時差はあるが時間が後戻りしている。「タイムスリップしているぞ。このまま飛び続ければ昔に戻れるかなぁ。」などおかしなこと考えていた。
 電車を乗り継ぎ夕方宿に着いた。ドーバーは大分涼しい気候だ。夕方になると20℃を下回る。2002年のリレーの際お世話になった宿だが、その後経営者が変わっていた。先生は藤田さんとつい先日まで泊まっていたので、まるで自分の家に帰ってきたような気分ではなかろうか。
 翌日から早速ドーバーのビーチで練習を開始。ビーチでの練習は流石「世界のドーバー」。世界各国から海峡横断泳を目指してスイマーが集まっている。「今年は練習だけ、来年チャレンジする。」なんていうスイマーもいた。しかも1ヶ月以上滞在しているスイマーもいて、何と恵まれた環境なんだろうと思った。
060730_202110  特に土・日のビーチは大賑わい。CS&PFに所属するボランティアの方々がスイミングキャップを貸し出したりワセリンを塗ってくれたりしている。また長時間泳ぐスイマーには栄養補給で、1時間毎にマキシムとブラックカレント(Black current:カシス/黒スグリ:「フルーツ」)のジュースをミックスしたもののサービスまでしてくれていた。しかもドーバー海峡横断泳に挑戦するスイマー以外の一般スイマーもかなり泳いでいる。
 4年振りに泳ぐドーバーの海は最初とても冷たく感じたが、水温は18~19℃もあって、1時間ほど泳ぐと水温にも慣れ、とても気持ち良く泳げた。本番でもこの水温なら何とか泳げそうだなと感じた。そして体調と相談しながら毎日2~4時間の練習をして本番を待っていた。
 ただ到着した日もそうだったが風が強い。この風は1週間吹きまくり、8月3日まで1艇の船も出られなかった。今回の潮周りでは7月30日から8月7日までの間になっているが、このままでは泳がずに帰るなんてことにもなりかねない。まぁ自然相手のことだから、止むを得ないと言えば止むを得ない事だが少々心配になってきた。
 8月2日、パイロットのオズモンド氏が宿に尋ねて来て、「この風は今週末には治まる。従って4日から6日の間に泳ぐことになるだろう。」とのことだった。泳ぐ順番が3番目の私は順当に行けば6日という事になる。060729_170351
 ドーバー海峡を40回以上も完泳し(世界記録)、「Queen of the Channel(ドーバー泳の女王)」としてギネスブックにも掲載され、世界初のドーバー3way完泳者としてエリザベス女王から「MBE(Member of British Empire)」、つまり「正式な大英帝国の会員(日本で言うと「国民栄誉賞」?)」の称号を貰っているAlison Streeter MBE(アリソン・ストリーター・MBE)お勧めのマッサージを受けに行った。
 日本のマッサージと違いオイルを塗りながら身体を擦るのだが、これがとても気持ち良く、始めると直ぐ「いびきをかいて寝ていた。」と石井先生に言われた。ドーバーにいる間、4回ほどこのマッサージを受けた。
 ドーバー海峡横断泳に成功した翌日、マッサージに行くとそのクリニックの前で先にマッサージを受けていたこのドーバーの女王、アリソンと偶然お会い出来、私の完泳をとても喜んでくれた。そして私は着ていたシャツに彼女のサインを書いてもらった。これは私の大切な、大切な宝物になった。
 食事では朝食付きの宿だが、毎日の昼食と夕食は自分達で調達しなければならない。先生も私も好き嫌いが殆ど無いので何を食べても大丈夫。そこで費用を少しでも安く上げるため、外食の半値で食べられる自炊がベストと判断。当初は外食を予定していたが、半自炊の食事にした。宿の近くのスーパーで食材を買い求め、部屋にある小さな電気ポットひとつで煮たり温めたりしながら食事をしていた。そんな食事の中で、私のお気に入りは「チキンの丸ごと焼き」。日本円なら400円弱で、4回ほど食させていただいた。結局外食したのは最後の8日の夕食だけだった。それもサンドイッチ。昼食でチキンを食べてお腹一杯だったので軽めに済ませてしまった。Rakkyistone
 5日、土曜の昼頃。ビーチで「幸運の石(穴が貫通している石)」を探していると、背の高い男性とその息子と思われる二人が私に何やら話しかけてきた。直ぐに石井先生のところへ連れて行くと、私のチャーターした支援船「シー・ファーラー」のクルーとオブザーバーだった。「明日泳ぐことになったので、ハーバーの時計台のところに朝7時までに来るように。」とのことだった。昨日も風が強かったので船が出たかどうか心配していたのだが、シー・ファーラーは出て行ったようだ。そして、いよいよその時がきた。
 早速、家内に電話をして「いよいよ明日泳ぐことが決まった。何とか成功出来るよう祈ってくれ。」と言うと、家内は「苦しくなったら私のことを、家族のことを考えて泳いでね。」と励ましてくれた。

5.ドーバーの神は微笑んでくれた

 8月6日(日)午前4時起床。日本から持ってきた餅をインスタント味噌汁と一緒に食べて腹ごしらえをした。餅は腹持ちが良いので、日本で長時間練習の際はいつも食べていた。多分、明日まで固形物は口には出来ないはず。宿の窓から外を見ると、薄曇の空。しかも風は全く無いので嬉しかった。待ち合わせの時計台に予定通り到着。だが、まだパイロット、クルー、オブザーバーは顔を見せていない。ドーバーのハーバー内は風・波が全くない。ラッキーだ。
 ほどなく全員が出揃い、出港の準備が整い、いざ出発。気持ちは穏やかで気負いはない。船はハーバーを出て右に回り、スタート地点のシェイクスピア・ビーチを目指す。波穏やか、風も無く、薄曇り、最高のコンディションではないか!
 擦れそうな身体の部分にラノリンをたっぷりと塗りこんで、船から離れ、ビーチに向かって泳ぎ出した。ビーチには東洋系の顔立ちをした親子連れが散歩をしていが、立ち止まり、私を見ていた。見物人が二人出来た。ビーチに上がり、船の合図を待つ。フォーンの音が聞こえてきた。両手を挙げ「絶対、フランスまで泳いで行くぞ~~!」と雄叫びを上げて、ゆっくりと水に浸かり船に向かって泳ぎ出した。風なし、波なし、水温適温(19℃)。これ以上の条件は望めないくらい最高のコンディションの中、午前7時44分、ドーバー海峡単独横断泳のスタートは切って落とされた。やはり「神様は私に微笑んでくれたに違いない」とドーバーに住む神に感謝した。泳ぎ出してまもなくドーバーの防波堤が左側に見えてきた。ピッチを意識してゆっくり、ゆっくり泳ぐ。しばらくするとイギリスのドーバーとフランスのカレーを行き来するカーフェリーの大きな船体が何回も見えるようになった。フェリーの航路を横切っているようだ。
 遠くにかなり大きな貨物船らしき姿が見える。右から左に動いているようなので、まだハーフポイントまでは時間が掛かりそうだ。それから何回かの補給を受けた時、先生に「ハーフポイントはまだですか?」と尋ねたら、「通過しましたよ。」とのこと。「どのくらいの時間ですか?」と再び尋ねると、「6時間40分です。」との返事。エッ、凄く速いな、私の予定では8時間ぐらいだったから、とても順調に来ている。
 でもこの後が試練の泳ぎとなった。潮止まりのゴミの海を通過した後、急に四方八方から大波が押し寄せてきた。風も無いのにどうした事か?船の引き波も加わっているようだ。(石井先生曰く、「これがドーバーの潮波」らしい。)まるで川の激流のような不規則な波が私を襲う。予てから先生に言われていた。「眞壁さんの海練習の時はいつも波、風穏やかで、ドーバーの海とは程遠い。もっと波の高い海での練習が必要です。」と。それまでは比較的ゆったりしたピッチで泳いでいたが、この大波を乗り切るには波に負けないストロークで力強く乗り切るしかないと思った。昨年チャレンジした内藤さんが、「大波で力を使い果たした。」と語っていた言葉も思い出していた。
 不規則な波が襲うので呼吸もままならない泳ぎが続く。「神様、泳がせてくれ。祐子、泳がせてくれ!」と心の中で何回も念じながら大波に挑み、木の葉のようにもまれながらも少しずつ、少しずつ前進をしていたように思う。そしていつの間にかあの大波が嘘のように消え、三角波のピチャピチャ波に変わっていった。
 何とか乗り切れた。ドーバーの神様はここでも私の願いをお聞き下さった。
 次なる試練は、フランスの陸地が見えてからだ。既に右腕は力が入らなくなっていた。左腕で水をプッシュするとプランクトンが「サァ~、サァ~」と糸のように流れて行くのだが、右腕でプッシュするとプランクトンは「サ・サ・サ・」と点で見えていた。右腕にいくら力を入れて泳いでもプランクトンは「サ・サ・サ・」なのである。でも腕はさほど痛みがないのが幸いだ。Dovermakabe
 岸の景色がどんどん変わる。左方向に流されている。それもかなりの速さだ。ここで思い出されたのが半月前に完泳したインドの女性の話。残り1マイル(約1.8km)を泳ぎきるのに3時間掛かったと言う。もし自分がそのような事態に陥ったら耐えられるだろうか?陸地が見えているとなおさら精神的に厳しいと思う。既にドーバー単独泳に3回も成功している藤田 美幸さんの言葉を思い出す。「眞壁さん、前を見たらあかんよ。船だけを見て泳がなきゃ駄目だよ。見えると自分で距離、時間を判断してしまう。でも絶対にそのようには泳げない。」。わかってはいるが、景色が見えてしまう。先生に「横に流されていますよねぇ?」と聞くと、「流されています。」と答えが返ってきた。「やっぱりなぁ~。」と、補給の度に変わる景色をついつい見てしまう。
Dobermakabe2  そしてドーバーの神様は三度(みたび)微笑んだ。周りの景色が見えないようにと、夜の帳(とばり)を降ろして下さったのだ。石井先生の合図で止まると「これからケミカルライトを装着します。船の側へ来て下さい。」との指示が飛ぶ。暗くなってきたという事は、もう12時間以上泳いでいることになる。「よし、20時間泳いでやるぞ!」と、ここで腹をくくった。周囲が見えなくなれば、船だけを見て泳げば良いので精神的には楽になった。
 先生は盛んにピッチを落とせと指示を出すが、これ以上ピッチを落とすと身体が沈んで呼吸が苦しくなるのでそのままのピッチで泳ぎ通した。このとき計測したデータによると、1分に60回以上のピッチ数で泳いでいた。練習ではこのピッチでは必ずリタイヤしていた数値である。後から聞いた石井先生の話によると、スイマーの私と先生が会話した時、オブザーバーが必ず「何を話した?」と聞いて来るそうである。飲み物もしかり、「何を飲ませた?」等々。正直に「呼吸が苦しく、身体が沈んでしまう。」などと言ったら船に上げられてしまう可能性があるので、「ピッチを落とせと指示したが、寒いのでピッチを上げて泳いでいる。」と説明したそうである。
 突然、側で大きな音がしてなにやら歓声が聞こえてきた。ビックリして泳ぎが止まる。泳いでいた私の側にボートがいた。昼間、私達を追い抜いて行ったアメリカ、テキサスのリレーチームが泳ぎ終わって私のために応援に駆けつけてくれたそうである。音楽がガンガン鳴っている。「オレェ~、オレェ、オレェ、オレェ~♪」と威勢の良い音楽が流れ、とても楽しい気分になった。アメリカ人は楽しみ方を知っているなぁ、私も音楽でも聴きながら泳いだら楽しかったなと思った。
 遥か彼方、左前方に町の明かりがゆらゆら見える。突然、先生のフォーンが聞こえてきた。

6.やりましたよ~!

 シー・ファーラーから下ろされたトニーのゴムボートに先導され、無事フランスに午後11時34分ゴール出来、フランスの地に自分の足で立ち上がり、フランスの砂を持ち帰る事が出来て本当に良かった。トニーの待つボートまでたどり着き、ボートに引き上げてもらった。トニーが盛んに何かしゃべっているが、私には全く判らない。でも「やったぁ~、やったぁ~、ありがとう!」と彼の手を握り締めた。石井先生の待つシー・ファーラーに戻って、「やったぁ~、やったぁ~!」と両手を挙げ先生と抱擁した。パイロットのクリスも、オブザーバーのサイモンも、「おめでとう!」と握手を求めてきた。
 防寒着を身にまとい、キャビンの長椅子に横になっていると先生が携帯電話を持ってきて、「眞壁さん、家に繋がっていますよ。」と渡してくれた。先生には予めお願いしていた。「成功する、しないにかかわらず、一番先に家内に結果を連絡したいので、他の方には一切連絡しないで下さい。」と。060729_192845
私「もしもし私です。やったよ、泳ぎきったよ。」
家内「ほんと、良かったねぇ、よく頑張ったね。」
家内の声が聞こえてきた途端、急に涙が溢れ出た。
私「とても苦しかった時、『祐子、助けてくれ!』、『泳がせてくれ!』と、何度も、何度も、心の中で叫んでいたんだよ。」
家内「そう、私も、祈っていましたよ。」
と電話の向こうで泣いているのが分かった。
家内「目はどう?」
私「そういえば、ゴーグルを着けてから一回も外さなかった。今まで全く気がつかなかったが、目は大丈夫。腫れてはいない。」
 不思議だ。あれだけゴーグルに悩まされていたのに、本番では一回も外さず16時間あまり装着したまま泳ぎ続けていた。これもドーバーの神様のなせる業なのだろうか?
 家内は「目のことが一番心配だった。」と言っていた。今までの練習ではうっ血して、腫上がり、目が塞がってしまう事が多く、こうなると多分泳げなくなるのではないかと思っていた。
家内「誰に連絡する?」
私「子供達に知られてくれ、あとは義姉たちに。」
家内「それだけで良いの?」
私「いいよ。」
 家内が「石井先生と話がしたい。」と言うので先生と電話を変わった。
 泳ぎきれたという満足感で身体中が溢れ、ゴールした瞬間を思い出す度に涙が溢れて止まらない。今までの人生の中でこんな感動に出会った事がない。思い出す度に涙が溢れて止まらない。人に話をする事も出来ない。場面、場面を思い出すと涙が溢れてくる。ドーバー海峡単独横断成功は、こんなに素晴らしい感動を私に与えてくれた。

7.感謝

 今回の単独横断泳成功はドーバーの神様が私の願いをお聞き届け下さり、苦しい時、ピンチの時に助けて泳がせて下さったと思っています。ドーバーの神様に「感謝、感謝、感謝!」です。Kandoumakabe
 老い先短い私にこんな素晴らしい感動、最高の思い出を作って下さった石井先生に「感謝、感謝、感謝!」です。
 暑い中、寒い中、雨の中、私の遠泳練習のサポートしてくれた我が友、鈴木 正子さん、石川 弘樹さんに「感謝、感謝、感謝!」です。
 長時間の海練習では欠かせない「支援船」の船長、米田さん、畑中さんに「感謝、感謝、感謝!」です。
 家内と一緒になり、私を応援してくれた延 とも子さん、プレゼントを作ってくれてありがとう。「感謝、感謝、感謝!」です。
 私を信じ、始めから一緒になってドーバー海峡単独横断に挑んでくれた私の家族、祐子、俊介、麻純に「感謝、感謝、感謝!」です。
 そして私のドーバー海峡単独横断泳の勇気をたたえて、応援してくれた沢山の仲間に「感謝、感謝、感謝!」です。
Sausafrica  今、私は家内がドーバー海峡単独横断泳の成功を喜んでくれる姿を見るのが、一番嬉しい。
 帰国が一日早かったので、8月10日のヒースロー空港での爆発テロ事件に会わずに帰国出来たのは、私の「幸運の人」から「強運の人」に変わっていたからかも知れない。早速、ドーバーのビーチで拾ってきた「幸運の石」をペンダントにして、肌身離さず身に付けた事は言うまでもない。

2006年 8月 6日(日)
眞壁 功
ドーバー海峡単独横断成功     時間 15時間 50分
日本人で13人目のチャネル・スイマー誕生
日本人最年長 62歳

2006年9月 7日 (木)

泳旅 in 津軽 3way

060831_0751131_2_1 1way  8月31日 青森 ⇒ 北海道

(青森県北津軽郡小泊04:46 ⇒ 北海道松前郡福島16:29)

記録 11時間43分

(写真:バックは竜飛岬)

060902_0433251_22ways  9月2日 北海道 ⇒ 青森

(北海道松前郡福島04:15 ⇒ 青森県下北郡佐井19:43)

記録 15時間28分

(写真:朝焼けをついて泳ぐ:福島沖)

060904_0952251_23ways  9月4日 青森 ⇒ 北海道

(青森県下北郡佐井04:50 ⇒ 北海道函館市戸井15:03)

記録 10時間13分

(写真:バックは青函フェリー)

060831_1334341_2スイマー:キンちゃん

泳旅 in 津軽 3way を制覇しました。

ご協力いただいた方々に、深く感謝いたしております。

(写真:よく翼を休めに飛来したカモメ)

ありがとうございました。

掲載されました新聞は、後日アップします。

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